勤務先用に書いたものの一部修正転載です。
さて9月となりまして、長野市立博物館で開催されていた企画展「おばけ展~新信州七ふしぎ~」は終了したようですが、こちらの妖怪の話はまだ終わりません。というか、やっと本題に入ってまいりました。
大町市八坂村の山姥の息子は金太郎であり、その金太郎の父親は安曇野の鬼「魏石鬼八面大王 (ぎしきはちめんだいおう)」らしい、というのが前回までのお話です。随分長い前振りでしたが、このようにまとめてみると実に短い(汗
このお話の初回でも書きましたが、金太郎とは大人になってからは「頼光 (らいこう)」こと源頼光 (みなもとのよりみつ) に仕えた「坂田公時 (さかたのきんとき)」でございます。
頼光とは、諸国で鬼や妖怪を討伐して朝廷の全国平定に尽力したひとであります。
その頼光に仕える四天王のひとりが坂田公時でありまして、この前書きましたとおり、京都大江山の有名な鬼「酒呑童子」を倒したなどと言われております。
このあたりは以前に「お伽草紙」というアニメにもなっておりましたな。頼光本人は病弱のため早逝してしまい、四天王とともに活躍したのはその妹だったというなんとも斬新な設定でしたけれども…。
それに対しまして、魏石鬼八面大王の地元安曇野に伝わるお話では、八面大王を討伐したのは坂上田村麻呂 (さかのうえのたむらまろ)。こちらも朝廷から派遣された武人でありまして、この方、時代が頼光や金太郎の時代より200年ほど前の御仁で、時系列が前後 してしまっておりまして、実はまったくハナシが噛み合わないのがご愛嬌なのですが、そこらあたりは人智の及ばぬものどもと渡り合うような方々ですから、タ イムスリップの1つぐらいしたんじゃないかというところでお茶を濁しておきましょう(オイ)。
で、まあつまるところこれはどういうお話なのか。
はやいハナシが、八面大王も国家権力に退治されてしまったというお話だったりします。
つまり、マサカリかついでクマにまたがって、はいしどーどーなどと言ってお馬のけいこをしていたような陽気なお子様の象徴たる金太郎さんですが、大人になっ てからはお国に仕え、その使命のために父のカタキの坂上田村麻呂と同じシゴトをするようになったという、なんだかわりとハードなお話しだったんですねコレ。ワタシがちょっとびっくりしてしまったのはそこでございました。
調べてみますとこのお話は次のようなお話しのようです。
現在の大町市八坂村に棲む「紅葉鬼人」という紅い顔をした女性が八面大王と恋に落ち、生まれた子どもが金太郎。大王が田村将軍に討たれてから、紅葉鬼人は現在の長野市中条村の虫倉山に移り住みまして、「大姥」として地元の子供達の庇護者になった。というのが顛末のようでございます。
この紅葉鬼人は、現在の長野市鬼無里村に伝わるもうひとりの有名な鬼「鬼女紅葉」であるとする説もあるのですが、そうすると今度は鬼女紅葉のお話しが成立しなくなってしまってちょっと困るのですけどね (苦笑)。
さてさて、それでは魏石鬼八面大王のお話しとはそもそもどのようなお話しだったのでしょうか。
おみやげもの屋さんで売っている絵本では、八面大王のお話しはだいたいこんなカンジで紹介されています (要約)
八面大王は、現在の大王わさび農場敷地内にある大王窟に立てこもって、朝廷から進軍してきた坂上田村麻呂の軍勢と対峙を続けたものの、ついには討ち取られて しまった。そして死後もその影響力が発揮されることを恐れられ、体を分割して安曇野の各地に埋葬された。しかし、これは中央支配に抵抗した、地方の自治と いうか自活のようなお話でもある。
最後の「自治云々」みたいな部分もちゃんと絵本にかかれています (ほんとです)。なかなか小難しい信州人らしいですが (苦笑)。
そもそも源頼光や坂上田村麻呂の妖怪退治のおはなしは、全国各地で朝廷の支配に反発していた実力者を調略した歴史を、敗れた側を鬼や妖怪として扱ったものではないかと考える向きもあるようです。
そのようなわけで、地元安曇野では八面大王は英雄的な部分もあったとして現在は扱われているようでございます。
さて、物語には1つの面だけではなく、おなじお話にも別の見方があったりします。
それについてはまた次回とさせていただきましょう。
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