勤務先用に書いたものです。
先週末行われた諏訪大社上社の御柱の木落し、全国のテレビなどで紹介されておりましたね。みなさんご覧になりましたか?木落しに続けて、川越しが行われるのが特徴です。この写真は当事務局スタッフ shio の御母堂が撮っていらした今回の御柱の川越しの様子でございます。
今週末は下社の木落しがあります。こちらは上社の木落しとはまた随分おもむきが異なりますので、これまたテレビなどで紹介されるときには、ちょっとそのことをお心にお留め置きいただきますと、はあ、なるほどなと思うところがきっとあると思います。お楽しみにごらんください。
諏訪大社の分社は日本各地にございまして、もしかしてこれをお読みになっていらっしゃるあなたのご近所にも「諏訪なんとか」「ミナカミなんとか (タケミナカタのことと思われます)」という神社があったりしませんか?
それらの全国各地の諏訪神社でもこの週末に御柱祭が行われます。大々的に行うところもございますし、そうでもないところもあったりますが、そうでもないところも、ふと気が付くと、お社の四方を囲むように4本の柱が建てられるのではないかと思います。それは、大きなお宮さんだけでなく、ちょっとした祠 (ほこら) のようなものかもしれません。
あれ?そういえばウチの近所で「諏訪」ってみかけた気がするな?とお心当たりのある方は、この週末から来週にかけて改めてご覧になってみると、思いがけず御柱が建っているかもしれません。
さて、信州長野には、昨年さんざん話題にさせていただきましたご存知善光寺さんがございまして。
その善光寺さんの近くには、善光寺三鎮守とよばれる3つの神社があります。この三鎮守はすべて諏訪大社の分社なのです。
そして、善光寺さん裏手の方、美術館とかがあるあたりに城山公園というお花見の名所がございまして、たぶん今現在お花見真っ盛りでございましょうな。
たくさんのお花見屋台が立ち並ぶあたりのその裏手には「健御名方富命彦神別 (タケミナカタ トミノミコトヒコカミワケ) 神社」という、諏訪の神様タケミナカタの名を含む神社がございます。
それぞれの位置関係をあらわすと次のとおり。
- 湯福神社 (左上)
- 妻科神社 (左下)
- 武井神社 (右下)
- 健御名方富命彦神別神社 (右上)
これは偶然なのかなんなのか、まるで善光寺さんの四方を諏訪の御柱のように諏訪由来の神社が囲んでいるのです。
ではその真中にある善光寺さんにはなにがあるのだったか、皆様覚えていらっしゃいますか?
これまでのお話で何度も登場し、諏訪にもその名前を冠した神社のある物部守屋さんが、せっかく大陸から仏教そのものといっしょに日本にはじめてやってきた仏像「善光寺式阿弥陀三尊像」を川に打ち捨てたという騒動が大昔にあったといわれておりますが、その仏像がまさにこのお寺のご本尊ですし、それから先日したお話覚えていますか?
善光寺本堂の大黒柱は「守屋柱」という名前がつけられており、その根っこには物部守屋の首が埋められているという言い伝えがあるのです。
あれ?あれって MMR ネタのための冗談じゃなかったの?
実は冗談ではありません。いや、根拠となる文献もちょっとよくわからないのですが(汗)、そういう言い伝えがあるのは確か。
そしてさらに、善光寺のまわりを囲む諏訪由来の神社のひとつ、健御名方富命彦神別神社は、かつて善光寺の境内の中にあったとする説があります。
これは善光寺さんが現在の位置におわすようになる前のことと申しますので、それはもしかしてまだ善光寺さんが飯田の元善光寺にいらした頃のことやもしれませんが、その頃から健御名方富命彦神別神社は現在の善光寺のあたりにあったのではないか?とする説もあるのだそうです。
まあ伝説というのはあとからいくらでも拡張できるものですから、「善光寺の守屋柱の根っこに物部守屋の首が埋まっている」というヒキの強いイメージにあわせて、あとからこれらのエピソードが追加されたのかもしれませんし、これを単純に「なんと奇妙な符号!まさに善光寺と諏訪大社は守屋の呪いを封じているんだよ!」「なんだってー!!」として良いのかどうかは知りませんが (ォィ)、物語として味わうには大変おもしろいと思うわけでございます。
柱に大の男達が鈴なりにまたがって、坂を滑り落ちるというなんだか奇妙なお祭りの背景には、なんだかこういうこれまた奇妙なお話があるのだなと思っていただくのもまた一興かと。
コメント