勤務先用に書いたものです。
さて、諏訪の神様についてのお話の続きです。
諏訪大社の主神として何度か話題に出ておりますタケミナカタという神様は、父であるオオクニヌシや兄であるコトシロヌシに比べると、自ら「オレと相撲で勝負しろコラ」とタケミカヅチに挑んでおりますので、腕っぷしには自身があったのでしょう。
しかし残念ながら負けてしまった。
ってぇことは諏訪の神様は弱い神様なのでしょうか?
実は、どうもそんなことはなかったのではないかと思われるフシがあります。
現在絶賛放送中の NHK 大河ドラマ「真田丸」で、草刈正雄演ずる真田昌幸が織田信長と面談したのは諏訪の法華寺というところでした。ドラマでもそのシーンがありましたが、信長が明智光秀に強烈なパワハラをくらわせて、これが後の本能寺の変の原因となる騒動があったのもこの地であると言われておりますな。
ドラマをご覧になった方はおわかりのとおり、この時は織田勢が甲斐武田を滅ぼした祝勝会というか、論功行賞の授与を行っていました。
武田信玄もとても諏訪神を信仰していたといわれ、まあこのへんはよくあるドラマなんかでは諏訪の姫、諏訪御料人とのラブストーリーの方に重きが置かれるわけですが、そもそも信玄は諏訪大社上社の大祝(おおほおり)であり、タケミナカタの末裔といわれる諏訪氏を配下におくことを目的として信濃へ侵攻してきたというお話もあるようです。
武田家を滅ぼして甲斐・信濃を手に入れた織田軍がその戦果を祝ったのが諏訪であるというのも、この諏訪の神様が戦国武将たちにとって特別な「いくさの神」だったと考えられるわけです。
これが、単に「相撲に負けた神」だったとしたら、わざわざそんな縁起の悪い神様のお膝元でそんな戦勝祝いの催しを開いたりしないと思うわけで。
そこから考えるに、タケミナカタという神様は、とても強いいくさの神であり、戦国武将たちにリスペクトされるような、タケミナカタが勝つ内容の物語が、その頃には広く知られていたのかもしれませんね。もしかしてそれがモリヤを負かして諏訪を支配したときのお話なのかもしれませんが。
現代にタケミナカタが強かったお話がほぼ語られていないのはなぜなのでしょう。もしかして、タケミナカタは弱かったことにしたかった誰かの意向があったのかもしれませんがそれはワタシなんぞの知る由のないことです。
さて、それに対しまして、タケミナカタに相撲で勝ったタケミカヅチはどうでしょう。これは以前にも書きましたが、茨城県の鹿島神宮の主神である鹿島大明神になったとされております。そして、この鹿島神社というのは、いわいる戦国時代や鎌倉時代のような武士の時代になる前、貴族の時代に日本で強大な権力をもっていた藤原氏の氏神様としてたいへんな信仰を集めていたらしいのですな。
その藤原氏のルーツは、皆様歴史の授業でやったの覚えてますか?
大化の改新、乙巳の変というクーデター事件において、当時権力を握っていた蘇我入鹿を中大兄皇子が殺害して政権を奪取した際に、実は中大兄皇子を炊きつけた黒幕、このクーデター事件の首謀者は中臣鎌足という人物であったと言われていまして、このひとが後に藤原鎌足と名乗ったのが藤原氏のはじまりなんだそうですな。
あれ、そういえば、以前の善光寺のシリーズでも蘇我と中臣が争うお話が出てきたような??
というわけで、今回はここまでとさせていただきましょう。
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