ザ・インタビューズというサイトがあって、ソーシャル界隈でなんかはやってるので、試しに答えてみた。このへん。 なんか、真面目に書きすぎた。読んだヒトどんビキみたいな感じだ。でも、どうやらそういうサービスみたいなのでそれはそれでいいのかもしれない。
特にこのインタビューに答えてみて、思うところがあった→「どんな学生時代でしたか?思い出話などを聞かせてください」
自分自身は、中学生時代が無茶苦茶楽しかったと思っていた。しかし、昨年久々に開かれた同級会に行ってみたら、なにが楽しかったのかほとんど覚えていなかった。それどころか、そこにいるかつての同級生達を、実はほとんど思い出せなかった。
相手は僕のことを覚えているのに、僕は相手の名前も思い出せない。自分が覚えていない僕のことを相手は知っているというのに。恐ろしいことだと思った。
数年前まで、一緒に仕事をしたひとに「町田さんってものすごい記憶力ですね」と何度か、何人かに言われたことがある。でもそれは本当はウソで、僕自身はなるべく「覚えない」ようにしていた。そのかわり、「思い出すきっかけになるもの」と、調べればわかるものは「調べ方」だけ覚えておくことにした。こうすることで、1つ1つの記憶は正確ではないけれども、多くのことを思い出すことができた。たぶんこれはプログラミングを仕事にしていたのと、それに加えて中間管理職だったからだと今にしてみれば思う。
つまり、本当は「ものすごく忘れる」ようにしていたのである。
最近、なんとなくそのたがが外れてしまって、ほとんどのことを忘れてしまったままになっていてちょっと困っていたりする(汗)。ひとには言えない年齢のときから喫っていたタバコを1年半前にぱったりとやめたことも少なからず影響しているのかもしれない。
そんなときに、上述の同級会の体験をしておどろいた。本当に思い出らしきものもあまりないようだ。
でも、思い出したいと思うことも特にない。「忘れようとしても思い出せない」というバカボンパパのセリフそのままで、なんだか自分で呆れたけれども。
なんかいいトシになってきて、中年となった最近、当然のことながら若いときより体力ないし、上述のようにどうもアタマの調子も悪いし、怪我や病気をするとすぐ重くなるし、あちゃー、なんか、もう無限に生きてるわけじゃないんだなと。明日死ぬかもしれないし、40年先かもしれない。でもそれは自分が子供の頃と何も条件は変わっていない。でも、子供の頃よりある程度実感が出てきた。
つまり、思い出もなければ先もない。過去も未来もない。と、思ったら、なんかすげー楽な気分になった。
「今」をちゃんとしとけばいいんだなぁと。
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